私を鉄道博物館に連れてって!!
ジョナサンスタッフのメンバーを連れて大宮に開館した鉄道博物館に出かけてみました。
入館料は一般1000円小中高生は500円幼児は200円
休館日は毎週火曜日、年末年始です。
開館時間は10時から18時までです。
「キハ41000形式気動車 車号キハ41307」(1933年製造)
初の本格的な大型ガソリンカー。国鉄で廃車後、遠州鉄道、筑波鉄道、片上鉄道などで使用
キハ41000形・キハ04・05形が譲渡された鉄道
16m級の車体はローカル線には手頃な大きさだったことから譲渡例は多く、中には複数の鉄道会社を移っている車両もある。

小名浜臨港鉄道
キハ41039の払い下げを受け、キハ101として使用
別府鉄道キハ101 1984年1月頃
旭川電気軌道
鉄道省小倉工場、1936年製のキハ05 12を譲り受けた。損耗の進んでいたエンジンの換装やオーバーホールは資金面から見送りとなり、塗色をダークグリーンに変更し、付随客車コハ05 1 として使用した。書類上はキハ05 16となっているが、実際はキハ05 12の振り替えと推測されている。廃車後は同社の他の車両とともに、洞爺湖町の洞爺少年自然の家に保存された。
「C57形式蒸気機関車 車号C57135」(1940年製造)
特急・急行列車の牽引に活躍した旅客用標準機関車。
「C57形式蒸気機関車」

1. パシフィックの系譜
C57は2C1(2軸の先輪、3軸の動輪、1軸の従輪)という軸配置を持つ旅客用の蒸気機関車です。けん引力よりも速度を重視して、C51から採用している直径1750mmという日本では最大径の動輪を有しています。
ところで、軸配置には色々なニックネームがついていて、2C1の軸配置の蒸気機関車をアメリカ式ではパシフィックと呼びます。貨物用のD51の軸配置は1D1(1軸の先輪、4軸の動輪、1軸の従輪)でミカドです。
日本製機関車のパシフィックの流れは大正時代のC51から始まりました。昭和に入ると、線路等級がやや低い路線へも入線できるように軸重を軽減したC54、台枠や先台車を改良し、ボイラを溶接構造にしたC55と続き、いよいよC57へと改良されていきます。
クモハ40形式電車 車号クモハ40074」(1936年製造)
3扉ロングシート車で戦前を代表する通勤車両
1932年度、大阪地区で初めて片町線四条畷〜片町間および城東線が電化され、電車の運行が開始されることとなった。この電化開業に合わせて製造されたのが本系列である。鋼製の20m級車体の電車は、制御車、付随車については32系で実用化されていたが、本系列では初めて電動車も20m級車体製造された。大阪地区向けには20m級電動車が製造されたものの、東京地区(山手線)では設備の準備が整わなかったため、1932年度および1933年度は17m級車体の33系が投入されたが、1933年度後半からは京浜線向けに20m級車体の新造車が投入され、これ以降17m級電車の新造はない。本系列は東京・大阪両地区の標準形電車として11年間に400両以上と戦前型電車としては最も長期かつ大量に製造が続けられたため、年度ごとの設計変更が忠実に反映されており、形態もバラエティに富んでいる

「クハ181形式電車 車号クハ181-45」(1965年製造)
国鉄初の特急電車151系を基に、勾配線区のために主電動機を強化。上越線で使用

EF58形式電気機関車 車号EF5889」(1956年製造)
高い人気を誇った戦後の標準型特急用電気機関車。

旅客用電気機関車の雄となったEF58
EF58形は、車軸の受けにベアリングを使用するコロ軸受けを初めて本格的に採用し、卓越した高速性能を誇りました。また暖房用の蒸気発生装置を搭載しその利便性などにより歓迎され、歯車比などを変更した姉妹機とも呼べる貨物用電気機関車EF15形とともに増備が続きました。当時は東海道本線、山陽本線の電化が西へ西へと進む頃で、1958(昭和33)年までに計172両が製造されました。

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2008/1/19作成 2008/1/17鉄道博物館探険

私を鉄道博物館に連れてって』
探険者 安藤 実 長沢 かつみ
ポンタとポッキーのローカル線の旅
シリーズ No.126

投入されたEF58形は特急、急行などの優等列車はもちろん、普通列車を含め、直流電化区間であらゆる旅客列車の先頭に立ちました。日本を代表する特急「つばめ」「はと」、寝台特急「あさかぜ」などのけん引にも活躍しました。
また、その性能が高く評価され、お召列車専用機が2両製造されたことも特筆できます。この2両は、色、装飾が他のEF58形とは異なり、また供奉車連絡用電話機の設置、停止位置確認矢羽の装備などがされ、新車時の価格が当時の金額で130万円ほど高くなっていました。
専用機61号機は今でもJR東日本でお召列車が運転される際には、その先頭に立っています。