ポンタとポッキーローカル線の旅
サロベツ原野を走るオホーツクのSLたち


C55型蒸気機関車 名寄駅で僚友の出会い
昭和48年1月3日〜1月15日 北辺のSL撮影旅行にて

『ジョナサンけむり写真集幻のSLたちより』
1999年1月26日製作 ジョナサン

よみがえる北海道の蒸気機関車たち
NO40北海道宗谷本線C55 

宗谷本線稚内行きC55型蒸気機関車は最果ての夢乗せて

宗谷本線塩狩峠駅の温泉のお話し。

塩狩峠駅の温泉旅館は駅前です。ここは三浦綾子原作の小説『塩狩峠』のモデルになったところです。しかしその当時はもちろん小説『塩狩峠』の知識もなく、ただ宗谷本線に近いというだけで、北海道に来るたびに宿泊してました。温泉につかりながらSLの姿を見ることもできました。おまけに運がよければ混浴温泉なので、若い女性に遭遇するチャンスも何度となくあったのですが、いざその気配をかんじると心臓がドキドキになり結局目的を達成することは一度もありませんでした。ただ温泉につかっていたら旅館の女将さんらしき人と何度か湯船の中で会話をすることはありましたが。、、、北海道弁で『何処から来たの?』『東京から』『ナイチから来たの』『ナイチ=内地』ちょっと考える。 (北海道はまだ戦争終わってないの。、、、、、。)『真冬の北海道へ何しに来たの』、、『蒸気機関車の写真撮りに来ました』『へーと言われていつも笑われました。』だからいつものぼせてフラフラになりながら部屋まで戻りました。D51の貨物列車が塩狩峠駅を通過します。しばらくすると最果ての雰囲気に包まれます。塩狩峠駅いまどうしてるかな。すでに30年近くが経過してます。1999年1月25日記述。 ジョナサン

宗谷本線C55型蒸気機関車は1970年の最果てのアイドル

宗谷本線は最北端の稚内に至るということもあり、北海道の中でもひときわ旅情をさそう路線だった。サロベツ原野、利尻富士といった風景の美しさだけではなく、特に惹きつけられたのはC55の美しさを最大限に演出してくれる、その厳しい自然であった。宗谷本線のC55は、夜行急行「利尻」317レ、318レと各駅での扱いのために郵便車、荷物車を連結した普通列車321レ、322レの旭川-稚内間を牽いていた。撮影対象は1日2往復だが、冬場は日が短く音威子府-稚内間で安心して明るい時刻に撮れる列車は322レのみ、321レは3月で豊富あたりまでならなんとかなる程度で、どうしても夜間の撮影が多くなった。小学校の時に、「稲作の北限は名寄」と覚えたことが刷り込まれて、未だに頭の中にある。もちろん、その後品種改良も進んでもっと北でも作付けされるようになったが、実際に宗谷本線を北上してみると名寄を境に沿線風景が変わっていたような気がする。冬場はとにかく白い景色が続くが、それでも思い込みのせいもあるのか、特に音威子府を過ぎ、最北の稚内が近くなってくると景色も違って見え、気持ちの高揚があった。やはり本当の宗谷路の魅力は音威子府から北にあったような気がする。蒸気機関車がいた時代より

形式 製造所 製造年 全長 重量 動輸直径 最大出力 最高速度
C55形 1号機 川崎車両 1935(昭和10)年 20.3m 113.0t 1,750mm 1,211ps 110km/h

1935年から1937年の間に62両が製造された中形の旅客用機関車で、C51形の改良形です。C55型の機関車は、旭川や苗穂や小樽などに所属していたもので走行距離は322万キロになります。

宗谷本線・知東駅を発車した稚内行のC55 321列車(1970年12月撮影) 快晴の中、SLは最果ての街を目指してサロベツ原野をめざします。


宗谷本線豊富駅『雪原の停車 C55 324列車』1970年12月27日撮影


宗谷本線南稚内駅『北辺の停車 C55』1970年12月26日撮影

宗谷本線塩狩峠駅『北辺の停車 C55』1970年12月25日撮影

宗谷本線塩狩峠駅『北辺の停車 C55』1970年12月25日撮影

宗谷本線豊富駅『北辺の停車 C55と96』1970年12月27日撮影

宗谷本線南稚内駅 旭川行き『北辺の停車 C55』1970年撮影

ジョナサンの予約 お問合わせは
TEL : 0266-66-2449
FAX: 0266-66-2688
メールアドレス :jonathan@jonathan-pocky.com
〒399-0101 長野県諏訪郡富士見町富士見高原ペンションビレッジ

最果てのSL撮影旅行 1970年12月27日 宗谷本線撮影
北辺のSL撮影旅行 1973年1月3日〜1月15日
1999年1月26日製作 HP製作 2019年5月8日更新
文と写真 安藤 実                トップページ