餘部鉄橋は日本海から吹き込む風の通り道
余部を7時6分頃通過する寝台特急『出雲』
日本の数少ない現役のブルートレインです。
2005年4月6日撮影

山陰海岸国立公園
餘部鉄橋青春18きっぷの旅

ポンタとポッキーの
ローカル線の旅シリーズ
NO86

山陰本線 餘部鉄橋の青春18切符の旅

山陰海岸国立公園はは城崎温泉から鳥取にかけての、リアス式海岸と砂浜に与えられた名称だそうです。山陰本線はこの区間はほぼ海岸に沿って走ります。トンネルも数多くありますが時々姿を見せる日本海の海は、長旅の疲れを十分に癒してくれます。餘部駅手前には鎧駅があります。ここは
NHKの朝の連続ドラマ『ふたりっこ』の舞台に使われたロケ地です。今回は途中下車しませんでしたが、次回は餘部鉄橋を再び訪ねる時には是非立ち寄ってみたいところです。すでに蟹のシーズンは終了していたので、すべてひっそり静まりかえっていました。

いよいよ餘部鉄橋を通過

鎧駅を通過するといよいよ餘部鉄橋です。山陰海岸が山陰を象徴する景観ならば、餘部鉄橋は山陰海岸のシンボルといえます。高さ41.5m、全長309.4mを誇るトレッスル式橋脚は、明治45年の完成時、東洋一と謳われたそうです。その迫力も列車から見れば十分わかりますが、もしも時間があれば、餘部駅で下車して下から見上げることをおすすめしたいですね。駅の看板には何万トンの鉄骨を運ぶのには、大きな輸送船で沖から小さな船に移し替えて運んだそうです。鋼鉄を海から陸に揚げる20日間は、日本海は信じられないくらい凪の海だったそうです。そして危険な工事をする方たちのための保険金が2万円だったそうです。明治時代の2万円は現代の2億円位かもしれません。そのくらい当時としては危険な難工事だったのです。

餘部の尾崎屋にて

公ちゃん、祐輝はまだ睡眠中。ジョナサン一人で餘部駅(あまるべ)へ向かう。急な坂道が5分位続く。私が小学生の頃、教科書に餘部鉄橋のことが書いてありました。いらい餘部鉄橋の大ファンになってしまったようだ。餘部駅は土地の人たちが人力で海岸から石を運んだそうです。今もその時をしのぶレリーフがあります。もう一つ忘れてはいけないことがあります。餘部鉄橋を通過する回送列車が機関車を線路に残したまま客車が真下の水産工場に落下したことです。水産工場で働いていた人と列車の車掌さんが殉職しました。冬の季節風が恐ろしい牙をみせました。以来JR各社は鉄橋を通過する基準を明確にしたそうです。とおとい犠牲の上に今の安全が保たれているのですね。

餘部鉄橋ライブラリー

鳥取発大阪行き『はまかぜ2号』4/6撮影
はまかぜ1号餘部鉄橋通過 4/5撮影
どの家からも橋を見る事が出来る余部は、漁港の周囲に開けた小さな集落です。行き交う人々が私たちに『こんにちは』と気軽に声をかけてくれました。近くの余部海岸はリアス式の美しい海岸です。

餘部鉄橋をのんびり通過する普通列車

兵庫県香住町余部の御崎地区には、光点の高さ日本一の余部埼灯台があります。

余部橋梁はトレッスル式橋脚と呼ばれる11本の橋脚に支えられています。小さな小川も流れています。

余部橋梁をバックに
余部橋梁は日本一優雅な鉄橋です。
公ちゃんと祐輝の1泊2日の青春18切符の旅は終わりました。大阪駅に迎えに来たお母さんもホッとした様子です。8番線新快速ホームにて。

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2005年4月5日撮影 青春18切符余部探検隊メンバー 公志郎くん、祐輝くん、ジョナサン 2005年4月7日 初版
協力 名古屋写真クラブ、大阪の由起子さん、名古屋の静江さん。香住町観光協会