想い出のジョン
ジョンの先祖は樺太犬かも

ジョン、生後3ケ月 東京日野市にて 小犬時代は貸家住まいでした。

ポンタ、ポッキーのお母さん、ジョン TVKテレビ江川氏撮影

ジョン、は最後に力を振り絞り、ポンタを生みました。

トヨタ自動車の小野寺さんのヘルメットを借りて、ハイポーズ!

淡路島の明石さん達は、島で花木類の生産をしてます。

ジョンにとっては、最後のお客様になりました。ジョンは

1987年12月6日ポンタを出産して1988年2月8日に永眠しました。

さよならポッキー(3代目)17年間ありがとう!2004年7月9日に永眠しました。

ジョンの先祖は樺太犬かも?

南極観測樺太犬記念碑
  昭和30年(1955年)国際地球観測年を期に日本が初めて南極観測に参加することが決定されました。このとき、極地での輸送手段に犬ゾリが選ばれ、北海道各地から樺太犬が集められ稚内公園で約8ヶ月間厳しい訓練が行われました。
昭和31年11月に東京を出発した観測船「宗谷」は、翌年1月ついに南極大陸を発見、第1次越冬隊は前人未踏のオングル島へ到達し、そこを昭和基地と命名しました。
マイナス30度を超える寒さとブリザードの吹き荒れる中、時には恐ろしい氷の割れ目に落ちそうになりながら、犬ゾリは1年間の任務でおよそ1,600kmを走破したといいます。
そして昭和33年2月交替要員を乗せた「宗谷」は、再び南極大陸へと近づきましたが、厚く大きな氷に阻まれ身動きがとれなくなり、上陸を断念し第1次越冬隊員だけを収容して日本へ戻ることになりました。このとき、1年間犬とともに過ごしてきた隊員たちは必ず交替要員が来るものと信じ、鎖につないだまま15頭の犬達を昭和基地に残すことになったのです。
そして1年後の昭和34年、第3次越冬隊が再び南極を訪れたとき、ヘリコプターから白い大陸を元気に駆回る2頭の犬を発見。それは、タロとジロの姿でした。無人の南極大陸で1年もの間たくましく生き延びていたタロとジロの奇跡的な生存のニュースは、日本のみならず世界中を駆けめぐり感動を与えました。
この事実は昭和58年に「南極物語」として映画化され、空前のヒットとなりました。
その後のタロとジロー
昭和34年(1959年)奇跡の生還を果たしたタロとジロはその後も観測隊を助けて活躍しましたが、ジロは帰国直前の昭和35年に突然の病に倒れ、再び生きて日本の土を踏むことはありませんでした。一方タロは札幌の北大植物園で余生を過ごし、昭和45年人間では80歳過ぎにあたる高齢でこの世を去りました。現在タロは北海道大学農学部付属博物館に、ジロは東京上野の国立科学博物館にそれぞれはく製として保存されています。またタロ・ジロをはじめとする樺太犬の功績をたたえ、昭和35年に「南極観測樺太犬記念碑」が、翌36年には「樺太犬供養塔」が訓練地であった稚内公園に建てられています。
樺太犬
樺太犬は樺太原産の北方系の犬で、大型で力持ち、おとなしく寒さに強いなどの優れた性質から、樺太では早くから使役犬として重宝がられていました。北海道では日露戦争で日本が樺太の南半分を獲得した明治38年(1905年)以降見られるようになりました。
犬ゾリのルーツ
犬ゾリは、今から約4千年前にバイカル湖の北に広がる中央シベリアで使われたのが始まりといわれ、サモエド族、チュクチ族などの遊牧民が実用化してイヌエット(エスキモー)へと受け継がれました。有名な極地探検家、北極点に到達したピアリーや南極点に到達したアムンゼンの支えになったのも犬ゾリでした。稚内市内でも昭和30年代までは、一般家庭で冬場の荷物運び等に利用していました
「南極観測」に関する資料はノシャップにある青少年科学館にあります。(文資料協力 稚内市教育委員会

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96/11/09/作成 ジョナサンアルバムけむり17号より 05/7/03更新